最後の手紙

私の数年来のクライアントさんのお店(家業)が幕を閉じることになりました。
そして今回、事業を閉じるにあたっての書面の挨拶状を、私に託してくれました。
大役です。

これまでの資料をながめているうちに、クライアントさんと同じ時間を過ごした風景が折り重なるように立ち上がってきます。

はじめて一緒にお仕事をさせていただいたときのこと。
はじめて対面したときのこと。
モノを作って売る、ということの意味。
妥協のない空気。

これまでの創業の苦労と喜びを、大きな身振り手振りで聞かせてもらったり、

文章を書くだけでなく、世に広めるためのあれやこれやに私も参加させてもらえて、「ライター」という立場以上の仕事と社会勉強の場をつくってくれました。

見積もりを依頼されて出すと、私が提示した金額の1.5倍の金額を出してくれ、
「いろいろな人を見てきたけど、あなたはこれくらいとってもいい人よ。もっと自信を持ちなさい」と叱ってくれたこともありました。

(この時の価格が、今も私の価格設定の基準になっています)

私が今ここに立てているのは、クライアントさんのおかげです。
なのに、私は無力すぎて何も恩返しできなかった。

私が今できることは、誠心誠意書くことしかできない。

彼女のにじみ出る熱意と想いを織りまぜて、彼女の人間味を存分にかぐわせる最高のレターを書き上げよう。
そう思い、筆をとりました。

そして先日。

先方に、書き上げたレターの確認チェックをお願いしました。
すると、「mayuさんの言葉なら、もう大丈夫です」と、そのまますぐにレターを配布する準備に入ってくれました。

(本当は手渡しをしたかったのですが、コロナで関西方面へ行くタイミングがつかめず。涙)

「書き上げた」と、静かに気持ちを着地させたい思いと、

「彼女らと血を分けるような文章がもう書けないのか」という、体のなかの小さい感情が動きまわる感覚とが入り混じって、抑えきれない思いにかられました。

いちいちこんな風に感傷的になるのは、本当はあまり良いことではないのかもしれません。
社会人として失格なのかもしれません。
次の仕事に影響してしまうかもしれないから。

これまでの私だったら、感傷的になる自分を振り切るように、自分の意識を次へ向けるようにもがいていたと思います。
フリーになる前は、早く切り替えるようにと何度も上司に怒られていました。

けれど、今は違います。

こうしてひとつひとつの案件を、
いや、私を選んでくれたひとりひとりと、私全部で向き合って、入魂し、書き上げる仕事が私にはあっているのだとわかりました。

外は雨。

はじめて彼女を訪れた時も、今みたいな雨が降っていたのでした。

Contents
閉じる