ごあいさつ

みなさんは、人の心や感情って不思議だな〜、と思ったことはありませんか?

私は、すっごく不思議だと思うんです。

私たちは“心”という目に見えないものに支配され、日々、悩んだり根拠のない自信にあふれたりして、感情を揺るがせて暮らしています。

気分次第で心が強くなれたり、かるく目標を達成できちゃったり、誘惑に勝てたり、妙に自分がクリエティブに思えたり。

いいことだけじゃありません。

心という形のない不思議な存在は、ときには勢いを抑えきれなかったり、ときには墜ちたまま上がってこれなかったりと、なかなか気分屋で厄介な面も持っています。
けれど、そんな気まぐれも、実は自分の受け入れ方次第で見せてくれる表情は違ってくるのです。

最近は、心理学系や脳科学の本がたくさん書店に並んでいますね。

私はスキマ時間があると、手帳やノートを片手に本を読んだり人から話をきたりして、学んだ心理(自分のこころ・感情)と、いつもの日常(現実)を行ったり来たりして照らし合わせることが多いです。

いま思えば、こんな風に私が暮らしの中の感情コントロールにこだわるようになったのは、2015年の父の他界がきっかけだったように思います。

命への向かい方

父はがんでした。
それも、がんのなかでも最もタチが悪いと言われており手術もできないたぐいのもの。

医師から告知されたとき、家族はその先に行き止まりを想像しました。
がんばって進んだとしても、その先の乗り越えられない壁を見ていたのです。

父を知る私の友人も、言葉をなくしました。
(友人はがん病棟の看護師です)

ただ父だけは違いました。

まわりが心配するのをよそに、父だけは楽観的。

いや、本当は不安だったのを隠し、表向きはそう振る舞っていただけかもしれませんが、とにかく父だけはドラゴンボールの悟空のように「やっかいなヤツがやってきたぜ」(←野沢雅子さん声を想像)と言わんばかりの空気をまとっていたのでした。

普段からあまり人の言うことに耳を傾けない「我が道を行く」タイプの父でしたが、医師のアドバイスと父自身の信念(思い込み)には忠実に突き進んでいました。

「どんなに辛い治療であっても受け入れる。オレは生きたいんだ。」

よくこんなことを口にしていましたが、父はその言葉どおり、私や家族の前では弱音を吐いたことはありませんでした。(医師の前でもなかったそうです。)

病は気から、を真正面でみた

手術はできない。
もし手術したとしても命がけになってしまう。
そんなカケには出たくない。
たとえ手術をしたとしても効果は期待できないし。

医師から「もう手立てはありません。薬もありません。」と言われてしまった父。

かといって、このまま諦めて時間を消耗していくだけの人生はいやだ。

じゃあどうする?

ガックリする気持ちと焦りを感じる私や家族とは反対に、そんなときも父は「病院を転院する」という“前へ進む”決断をしました。(少しでも可能性を求めて。自宅からも母が通いやすいような立地の病院へ。)

そして、毎朝の血圧測定数値と、ノートに書き続けていました。(ノートには、通院記録、病院での会話、薬の種類、毎朝の血圧、仕事の今後のことを書き綴っていたようでした。)

家族が肩を落としている間にも、父本人は「次はどうしようか」「どう自分を進めていこうか」と、それ一直線で「諦める」なんてことは全く頭になかったようでした。

(一方、私たち家族は「父は父なりに自分の命の時間についてはうすうす感じているのだろう」と勝手に想像していました。けれどまさか医師の「がんばりましょう」を100%受けれていたとは・・・)

そんな父の本心(治すことができるという、疑わない気持ち)がわかったのが、父が亡くなる一週間前。
父が医師から直接「あとこれくらい」とわずかな時間を告知されたときでした。

その日の夜から、父は歩くことができなくなりました。
昨日まで、階段を昇り降りしていた父が、です。

地声が大きかった父の声が、聞き取れないほど小さくなりました。
昨日まで、別の部屋で電話をしているのがこっちまで聞こえてくるほど響いていた父の声が、です。

自分の人生の終焉は誰もが考えます。

けれど、それがわからないからこそ(遠くにあると思っているからこそ)、私たちは勇気も出せず、行動も起こせず、ただ後悔だけを積もらせ時間を消耗してしまいます。

父も考えていたはずです、自分の人生の終わりを。

でも、それがすぐそこだとは父本人は全く思ってもいなかったのでした。
(少なくとも、父の中では年単位で考えていたようです。数日単位ではなく。)

白衣のタブレットにも予測できないミラクルがある!

人間の生命力について、みなさんはどう思いますか?

私は、父自身の強い精神力こそが父の命を繋いでいたと思っています。
そう、人の生命力はその人の精神とも深くつながっている。

病院を転院した際の、前病院から送られてきたカルテには、父はあと2か月と書かれていたそうです。

けれど、(余命を知らされていなかった)父は、抗がん剤にも耐え、この水ががんに良いと聞きつければそればかりを飲み(どこにでも売っているミネラルウォーターです)、毎日ノートに日々の自分の変化を綴り、家族が見舞いにくれば無理してでも起き上がり一緒にテレビを観、いつも通りどーしようもない会話をする・・・。

父のなかの「生きたい」という強い気持ちが、そのまま父の哲学となって、父の体を支えていたのです。

余命2か月と診断されていた父は、闘病生活7年の末、天国へ旅立ちました。

これはただの根性論ではない

病気を相手に、根性だけで立ち向かえるほどの夢物語はそうありません。

父は自分の気持ちを強く持ちつつも、医学的治療もしっかりと受けていました。
信じる気持ちと、現実的な手段をバランス良く融合していたのです。

ただ願うだけではなく、強いポジティブな気持ちを言葉にしそれを行動にすることで命を延ばしていたのです。

この様子を間近でみていた私は、人の心や言葉(目に見えないチカラ)が現実に及ぼす影響は、想像以上に大きなものがあるのだと感じました。

この世でたった1人の父を亡くした悲しみは、今でもふいに襲ってくることがあるけれど、と同時に父が私に残してくれた(父が身をもって教えてくれた)「言葉とメンタル」の大切さは、私のこれからの人生で大きな財産になっていくと確信しています。

【強く生きたいと思った】意識革命の始まり

この出来事から、私の意識革命は始まりました。

自分の考えや受け入れ方次第で、未来は変わる、変えられる。
言葉は人を強くする、強くさせられる。

だって、命の時間までをも延ばすのを、こうして自分の目でみることができたのだから。

まずは素直になること。
自分を知ること、自分をおろそかにしないこと、自分に耳を傾けること。
なんでもトライしてみること。

そして、これらを細かに記録すること。

こうして言葉の重なりが「自分の感情と人の感情の現実を好転させる」と体感したとき、私は私の思う道を進むためにフリーランスとなりました。

私と関わる人のそれぞれの体の中に、光を放つ言葉を持つことの心強さを提供していきます。

このサイトを訪れてくれたあなたの、何か心のゆらぎのきっかけになってもらえたら嬉しいです。

あなたも
私も

よりこころ軽く
よりたくましく
よりたおやかに
暮らしていけますように。

mayu*