ことのはじまりは、大切にしていた1本のボールペンをなくしたことでした。
結婚してすぐの誕生日に夫からプレゼントしてもらった「ラミー2000 4色ボールペン」を、先日なくしてしまったんです。
いつも持ち歩き、あらゆるシーンで使っていたので、ペンポーチに入れてもらえることも少なく、バッグの内ポケットに直接さしていたことも多かったな。。。(遠い目)
とりわけ、すごーく過保護にしていたわけでもないのに、いざ、自分の手元からなくなってみると、思っていた以上にズーンと心が重くなっているのでした・・・。
ラミーの4色ボールペンはベストセラー商品なので、今も店頭にならんでいます。
決して、手に入りにくいものではありません。
「なくなったなら、買いなおせばいい」
そんな考え方もできるはずなのに、やっぱりこれはプレゼントしてもらったもの。
私のあのラミーは、世界でたった1本のボールペンだったのです。
あぁ・・・。
これを大げさだと笑う夫を横に、未だにズーンとなったまま、固まってソファに座っている私がいます。
「なくしてみてわかるもの」
この言葉の意味を、思い知らされたのでした。
おそらく。
私のまわりにあるもので、なくなってみると気分が堕ちるものはたくさんあるはずです、今は見えないだけで。
また、物質的なものだけでなく、時間や気持ちもそう。
「もう手に入らない」
「もう戻れない」
そう、離れてみてはじめてわかる尊さ。
けれど日常のほとんどは、これら「なくしてみてわかるもの」で覆われているのだと思います。
これを機に、愛すべき日常・愛らしい毎日をテーマに、1センチ先にあるスルーしがちな“嬉しい楽しい”を拾っていこうと思います。
そして、こうした小さいラッキーで、私の日々の暮らしの歩調は整っているのだ、ということをひとつひとつ確認していきます。