仕事のチーム内の仲間たちがこぞってこの本を読み、話題にします。
これは読んでおかないとおいていかれるな、と感じて読みはじめたのが数年前。
・・・が。
見るからに分厚くて量があってやや抵抗もあるし、読んだあと興奮して感想を述べるのは熱い男子がほとんどで、友人で「これ、おすすめ!」と声を出してる人があまりいないので、私も二の次にしていました。
けれど実際に重い腰をあげて読みはじめてみると、想像していた堅苦しさはなく、すらすら読みすすめることができました。
この本。
外見の分厚さと、カチッとした雰囲気の佇まいから、気になりつつもなんとなく敬遠している女性も多いと思います。
「The ビジネス書」という感じですしね。
ですが、中を開いてみると、ビジネスだけでなく普段の暮らしでも活かせそうなことがたくさん書いてあったので、今回は500ページ強あるページの中から、超ピンポイントで私なりの解釈を書いていこうと思います。
農場の法則
最初から読み始めてほどなく、こんな記載があります。
農場に一夜漬けは通用しない。
春に種蒔きを忘れ、夏は遊びたいだけ遊び、秋になってから収穫のために一夜漬けで頑張る。
そんなことはありえない。農場は自然のシステムで動いている。必要な務めを果たし、定まった手順を踏まなければならない。種を蒔いたものしか刈り取れない。そこに近道はないのだ。
この部分を読んだとき、すぐに思ったのは「日常も同じ」ということでした。
今を生きることも大切だけれど、未来をちょっと期待しながら今を生きるのも楽しい。
期待の種を蒔いて、ワクワクしながら明日を迎えるのって素敵じゃないですか?
『7つの習慣』で紹介されている「農場の法則」では、人間関係や人脈など社会的評価での種蒔きについて書かれているのですが、これって暮らしの中でも同じだと思ったのです。
流れるままに日常を過ごすのも、今日という日を意識して過ごすのも、今ある今日は過去が積み上がってきたもの。
自分でも気づかない過去のどこかで、「今日咲かせる花」の種蒔きをしていたことになります。
今日の私が未来の私をつくる。
そう思いながら、文章を書いたり写真を撮ったりしていると、ひと文字・一文・シャッターを押す・・・、それぞれが尊い瞬間となるのです。
たとえば写真を撮ることも
たとえば、新婚旅行で私が夫を写した写真。
たとえば、子どもたちのはじめての寝返りの写真。
これらの写真、まとめてあるアルバムも違えば、データのままのものもあります。
それらの写真の裏には「私が写した」という共通した事実があって、それらの写真の底には、その時その瞬間の私の気持ちがしずめられている。
写真に組み込まれた私の気持ちが浮いてきて、プカプカとどこかへ行ってしまわないように「時間」が重しとなって、記憶と気持ちをつなぎとめているのかもしれません。
写真だけじゃない。
音楽もそう。
本もそう。
みんな、そのときを生きた私と紐付いています。
何気なく写真をみたときに、懐かしさと一緒に、いまココに在る自分を幸せに思うことができるのです。
指先で過去を呼び起こす
子どもたちが小さかったころ。
何度もクレヨンで塗り重ねて幾重にも層をつくった、広告の裏に描かれた絵。
そのボコボコの絵を指でなぞるたびに、口をつぼめて、額と首すじに少し汗をかいて、ごしごし色を塗っていた子どもたちの姿がクレヨンの匂いにのってやってきます。
目からの記憶を飛び越えて、指の感触が心を刺激してきます。
私は、いまでも子どもたちのほっぺをよくなでなでします。
ツルッツルの張りのある透明な肌。
この指先に感じるツルツル感覚もいつか、懐かしく感じることができる日がくるのです。
今しかない(今しかほっぺをさわらせてもらえない)感触を指にすり込ませ、その感覚を静かに寝かせ、これらを懐かしく思い出せる未来を楽しみに、体の中に保存しておくんです。
五感を通じて思い出される日常の出来事は、モノや記念イベントとは違った懐かしさを響かせます。
これこそが、農場の法則を応用した、私の「思い出の種蒔き」なのです。
人生は、すれ違うようなささやかな時間の積もり
ときどき思います。
もしも私が天国へ旅立つとき、さいごに思い出すことってなんだろう?
子供たちの、みかんの激しい取り合いだったり、
毎年、家族みんなでセッティングするクリスマスツリーだったり。
そんな、当たり前すぎる日常の、
すれ違うようなささやかな時間の積もりなのかもしれない。
日常の重なりが、未来の自分をつくる。
さあ、明日はどんな種を蒔こう。