ワタシリズムに気づく ー 心と文脈 ー

書いて整う

書く習慣がわたしを支えた

知らないあいだに自分のなかでストレスが大きな比重を占め、ついに体に異変があらわれた時のこと。
真っ先に症状として出たのは、言葉と思考力でした。

 

言葉が出なくなったあの日から、今日まで。
病院での治療と並行して、常に私のかたわらにあったのは「書く習慣」です。

思考力が鈍り言葉が思うように出てこなくなるのだから、一時的に文字を書くことや読むことに拒否感があったのは当然です。

あんなに文房具を愛し、ノートや手帳に自分仕様への探究心が無限で、無駄に書くことが好きだったのに、読み書き思考に触れることすら嫌になる時期もありました。

けれど、読み書き拒絶からそう時間をおくことなく、毎朝(手にとるまではいかなくても)無意識にノートや手帳に意識が向き、気づけば本の背表紙を眺め、ipadで色で遊ぶことが多くなってきました。

いままで私は、毎朝、起きてすぐに簡単なモーニングページをノートに書いていました。
次に、ipadに自分で作ってある感謝テンプレートに記入し、そして手帳を開いて、前日に書いておいた毎日のルーティンリスト(モーニングページ、ipadテンプレート)にチェックを入れていました。

病院で診断を受けて以降ストップしていたこの流れは、気持ちは離れていても体が覚えていたのですね。
いつの間にか習慣化していたのです。

この習慣が日々、途切れそうになる現実と思考、言語と希望をつないでいたのでした。

そしてそれは、認知行動療法に関係していることも後からわかりました。

これらの経験は、目の前がモノクロにしか見えなくなってしまった私に「まだ語れることがあるのかもしれない」と思える、小さくも重たい一歩のきっかけになったのでした。

今後も、
大きな助けとなっている「書く習慣」のこと、「頭と心をからっぽにするために書く」ことの大切さなど綴っていけたらと思います。

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