暮らしの中にクリエイティブな欲求があると、日々は行動力や表現が増していきます。
自分の興味をもっと探求したい
創作欲
やさしい時間を増やしたい欲
もっと知識を得たい欲
などなど。
自分磨きの気持ちが、高みへ運ばれていきます。
さらにこれらを言語化することで、より自分の中へ浸透していきます。
仕事・プライベート問わず文章を書く際は、とある本を近くに置いています。
『出発点』(宮崎駿:著)です。
(カフェで仕事をしようと思い、PC、iPad、カメラなど一軍メンバーと一緒にかなり分厚いこの本を持っていったことがありますが、さすがに肩がもげそうになりました。それ以来、外でこの本を開くのは諦めました。文庫かKindleで発売しないかなぁ・・・)
何度も読んでバイブル化している、宮崎駿氏の『出発点』の中にこんな一節があります。
体のなかで言語化できずにくすぶっていた「感覚」を、宮崎駿氏は見事に代弁してくれています。
人が美しい夕焼けについて語るとき、急いで夕焼けの写真集をひっくり返したり、夕焼けを探しに出かけるだろうか。
『出発点』宮崎駿
そうじゃない、記憶も定かでないとき、母の背で見た夕焼けの、意識のひだに深く刻まれた情感や、生まれてはじめて、“景色”というものに心を奪われる経験をした夕焼けの景色、さみしさや、悩みや、心あたたまる想いにつつまれた、たくさんの夕焼けの中から、君は自分の夕焼けについて語るはずなのだ。
私たちは、思い出や経験・生きてきた環境の中に、あらゆる感覚を詰め込んでストックしています。
それらは一度は色彩を失い、忘れてしまうこともあるけれど、あるとき突然ふわっと過去の色を思い出し、再び自身のなかでよみがえらせます。
この感覚が、考えごとの先でアイデアを実らせたり、問題解決へのヒントとなったりするのです。
人は生まれてからずっと「自分」と繋がっており、生きていく道中で、良いことであれ悪いことであれ常に種を蒔きながら歩いています。
一方で、過去に蒔いた種の収穫もしています。
そしてこの先も、過去の種から反省したり後悔したり失敗の回収ができたり、成功体験を獲得しながら歩いていくのですね。
言葉や感性は、年齢とともに経験の深さや感覚の温度によって変化しています。
若くても年齢を重ねても、その時々で「今だから書ける文脈」があるのです。
小さい頃に見た夕空に、いま見えている夕空の色を重ねる。
そして数年後、その時に自分が見えている空の色をさらに重ねていく。
こうやって時間の層を積もらせ、瞼の裏に夕焼けの色が重ねられていくように、心がとらえる文脈も深みを増していくのです。
淡々と過ごしているような毎日も、自分の中のどこかで「今この時」の感性はストックされています。
着々と。