
InstagramやTwitterなどのSNSのおかげで、私たちはまだ会ったことのない人や、全く面識のない人の生活を垣間見ることができるようになりました。
それらを目にするたびに「いろいろな人生があるのだなぁ」と思うけれど、実はそんな「いろいろな人生」も今はじまったことでなく、人類がはじまったときから人の数だけドラマがあったわけです。
現代はSNSというツールによって、自分のまわりが誰かの物語で埋められているような、そんな錯覚を見てしまっているような気がします。
そのため、必要な刺激だけでなく、本来ならいらない刺激までキャッチしてしまう・・・。
そしてSNS疲れが起こってしまうのです。
人は、無意識に心のどこかで何かと比較をしながら生きています。
遠くの知らない誰かの“思い”や“行為”を自分と重ね、お手本にしたり、励みにしたり、ときには踏み台にしたりしながら自身を鼓舞しています。
その反対もあります。
自分が知らないうちに誰かの助けになっていることもあれば、誰かの話のネタになっていることもあるかもしれません。
人と人とをつなぐ便利なツール、SNS。
これらを、いかに自分に合わせて距離を保てるか、カスタマイズして使えることができるか。
すべては自分の受け止め方なのだと思うのです。
SNSは、私にどれほどの良い風を運んできているだろう?
いらない物まで運んできていないだろうか?
そして私は、それらのいらない物をきちんとスルーできているのだろうか?
便利だけど上手に使っていきたいと思うこのごろです。
思わぬ横風に流されることなく、自分の信じるものへ向かってしっかりとした足取りで歩んでいきたいです。
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最近、私の周りでSNSで心を乱される方が多いので、今回はこのような内容を書いてみました。