これはあまり推奨できることではないのですが、私は道を歩いていて何か思いつくと、すぐに道の角に行ってメモる癖があります。
(何年か前まで、その場でピタッと立ち止まるという迷惑行為をしていたのですが、最近は「角へいく」ということができるようになりました。成長しました。でもまだ危ないです。笑)
スマホのメモではなく、ペンとノートを取り出して書きます。
(スマホ操作が遅いというのと、スマホにメモするより手書きで書いておいた方が後々思い出す確率が高いからです ← 古風な女です ← というより年齢的なものかと…)
メモする内容は、突然思いついた仕事に関するアイデアだったり、自分の感情ログだったり。
書店にはメモに関する本がたくさん出版されていますが、私が書くメモは時間やスケジュール確認など自己管理のためのものではなく、「今ココの自分」のタグ付けのようなものです。
「感じたこと」「心が動いたこと」のコレクションのような。
このメモが何の役に立つのかは、その時にはわかりません。
でもひたすらメモするんです。
自分を救うもの
過去の自分のおこないが、今の自分を助けたことありませんか?
過去の自分が自信になってお守りになる、そんな経験。
私はたくさんあるんです。
とはいえ、過去にたくさん輝かしい栄光があるわけではないですよ(笑)
もっと些細なことです。
たとえば大嫌いだったマラソン大会(血の味がするほど大キライ)は、毎年毎年ズル休みすることを考えていたけれど、結局、毎年走ってました。
小学生ってすごくないですか?
大人よりも逃げ道がない環境だと思うんです。
親や先生の縛り(良い意味での「縛り」です。親になった今になればわかる「大人の見守り」なんですけど)の抜け道を探すのは大変なことです。
ズル休みする勇気もない私は、嫌だ嫌だと思いつつスタート位置についていたのです、毎年毎年・・・。
そんな過去を私はよく思い出します。
「あぁ、なんだかんだキツイ思いをしながらも、結局走ったんだな〜」と。
そして今、目の前に多少の憂鬱なことが落ちていても「今を過ぎてしまえば、後になればなんてことはなくなる」と思うようになりました。
私はこれで何度も、苦手なお母さんがいる会合や、ワンマンで横暴な人との共同作業を切り抜けてきました(笑)
ね!小さいことです。
けれど、これが私にとっての「自分の過去に救われる」ってことなんです。
このポジティブともとれる考え方になったら、本当に本当に楽になりました。
自分の失敗や恥ずかしい過去が、肯定されるどころか学びにさえなります。
その原形となるのが、日々のメモなのです。
メモを見返す

過去の自分のメモを見返すと、そこには「今を切り抜ける」ためのお守りがたくさん落ちています。
人は生きていくうえで、武器(お守り)が必要です。
それは、スキルや専門技術やセンスではなく、自分の中に生まれる自信・安心が大きな支えになります。
あのとき乗り越えた自分。
悔しくてもひたすら黙ってガマンし続けた自分。
勇気を出して吠えた自分。
どんなに売れている世界的ベストセラーにも書いてない、自分だけの啓発がココ(自分のメモノート)に誕生します。
これらのことを常に意識しながらメモを書いているわけではないので、完全なる後づけの「書くことの価値」ですが、私は強くそう思っています。
表現者になろう

もしも。
本を読んでも、
映画を観ても、
自分の中に入ってこない。
もっと自分を高めたいのに、
漠然と「きちんとしたい」と思っているのに、
何をどうしたら良いのかわからない・・・。
そういう方がいたら、表現者になることをおすすめします。
表現者といっても、作家や芸術家といったハードルの高いものではありません。
将来の自分にむけて残すのです。
今の感情や、もがきや、感謝の気持ちを。
自分で自分に向けた表現者になるんです。
発表とか公開とかしなくてもO.K。
その表現方法は、文章でも良いし、絵でも写真でも良いし、色で表現しても良いと思います。
ヨガで表現しても良いし、音楽でも良いし、パッチワークでも良いと思います。
いろんな表現方法があって良いし、正解も間違いもないので、自分が続けられそうなものを。
パッと思いつくものがなければ、まずは「メモやノートを書く」というのをオススメします。
そのときに、感じていること思っていることを、自分なりに文字に置き換えます。
そこには誰の評価も入りません。
誰も評価なんてできないし、させません。
本当に自分の中だけで良いんです。
この自分の直筆が、あとで大きな力になります。
直球のノウハウやヒントになる情報は持ち得ていないのですが、動画にて「書く風景」の雰囲気をお届けしています。
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