手帳とノートに安心と祈りを
作家は、作品を書き続けながら、その文脈から自分の変化も把握できるといいます。
自分の過去の作品を客観的にみて、分析して、今と自分と過去の自分を、比較する距離感を保っています。
そして、過去の自分の全力を、文脈を通して肯定することができるのです。
『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』を読んで感じたこと。
村上春樹氏と河合隼雄氏の言葉の行ったり来たりが、深くて軽やかで、心地よかったです。
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「今の自分」というのを残していくのはすごく大切なこと。
ちょっと前に美容院で読んだ雑誌(たぶんVERY)から写メした文を思い出して、スマホを探ってみます。
あったあった、これだ。
子どもにとって親は人生の脇役で、彼らが日々いろんな感情を抱きながら一人称の人生を歩んでいるなんて想像もしないものです。
もうパパとママの夢は叶えられていて、人生は完成しているのだと思いこんでいました。
大人になってからは自分のことで手一杯で、両親の人生に想いを馳せる余裕もありませんでした。
穏やかな老後を生きているんだろうな、ぐらいの認識で。
写メしていたことすら忘れていたこの文を、どうしてこのタイミングで思い出したんだろう。
そしてふと、写メしたときもまた「自分の日々を残そう。今の自分をカタチにしておこう」と思いながらスマホを手にしていたことを思い出しました。
今回の『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』といい、美容院で写メしてきたエッセイを思い出したことといい、どうやら私は、「今この瞬間をカタチにして残す」ということに、何か可能性やら安心やらを含めているらしいです。
そのことが、もともと興味のあった手帳やノートの用途とマッチして、手帳にも安心や祈りのようなものまで、吸い込ませようとしているのかもしれません。
文章、画像、映像、鼻歌。
思いつく今を、いろいろな形で残しておこう。