Mind&Sentence

女性PRライターが考える「人と心とストーリー」

カメラが写すのは思い出だけ?その瞬間の五感も残しているよ

たとえば、新婚旅行で私が夫を写した写真。
たとえば、子どもたちのはじめての寝返りの写真。
たとえば、アリが一心不乱に木をのぼっていて、突然、ピタッと止まり向きを変えた瞬間の写真(なんだそりゃw)

これらの写真、まとめてあるアルバムも違えば、データのままのものもあります。

でも、それらの写真の裏には「私が写した」という共通した事実があって、そしてそれらの写真の底には、その時その瞬間の私の気持ちがしずめられているのです。

写真に組み込まれた私の気持ちが浮いてきて、プカプカとどこかへ行ってしまわないように「時間」が重しとなって、記憶と気持ちをつなぎとめているのかもしれません。

写真だけじゃない。
音楽もそう。
本もそう。

みんな、そのときを生きた私と紐付いている。

 

指先で過去を呼び起こすこともあります。

子どもたちが小さかったころ。
何度もクレヨンで塗り重ねて、幾重にも層をつくった、広告の裏に描かれた絵。
そのボコボコの絵を指でなぞるたびに、口をつぼめて、少し汗をかいて、ごしごし色を塗っていた姿がクレヨンの匂いにのってやってきます。

私は、いまでも子どもたちのほっぺをよくなでなでします。

ツルッツルの張りのある透明な肌。
この指先に感じるツルツル感覚もいつか、懐かしく感じることができる日がくるのです。

今しかない(今しかほっぺをさわらせてもらえない)感触を指にすり込ませ、静かに寝かせ、これらを懐かしく思い出せる未来を楽しみに、体の中に保存しておくんです。

これを、思い出の種まきといいます。

 

* * * * *

 

寒くなると、なぜかカメラを触りたくなります(なんでだろう、謎)

いつものスマホでいいじゃん、と頭の片隅で私のぼやきが聞こえてくるのですが、スマホでは欲求が満たせないんです。
なぜって。
覗いて撮りたいから。笑
だから液晶撮りのスマホだとダメなんです(とはいっても寒い時期限定の私現象なのですが、汗)

で、その私の珍現象(?)は、あるジャンルの本を奥から引っ張り出す行動へと導きます。
それがこの本、「写真がもっと好きになる」

はじめて読んだとき、「写真て、こうやって撮るべきなんだな〜」って感動したのを覚えています。
テクニックとか、ノウハウとか、そういう本じゃなくて、ベタだけど「心で撮る」みたいな本。

テクニックとかノウハウとか、知ってた方が数段写真が楽しめるのだろうけれど、なんだか「上手い」とか「美しさ」とか、そういう枠の中に行儀よく入りたくなかったんだろうな、その頃の私は・・・(とはいっても、いい大人です。反抗期どころではありません!笑)

もう1冊、紹介しますね。

「パーフェクト・フォトレシピブック」という本。

この本も、感覚で撮ろうぜ〜♪的な本です。
中には写真があって、横にそれを撮ったときの機材やデータ(絞り値とか場所とか)が小さくあるだけ。
あとは、窓の光を入れましょうね〜、程度のアドバイス。
なんて自由!

一見、放任な雰囲気のする2冊のカメラ本だけど、不思議と「撮りたい欲」が湧き上がってくるんです。
でも特別なものを被写体にしたいわけじゃない。
そのへんの日常を撮りたくなる行動にかられます。

もっと言えば、その瞬間の自分の五感をとめておきたくなるのです。

たまに思います。

もしも私が天国へ旅立つとき、さいごに思い出すことってなんだろう?

沖縄に行った、とか
ディズニー楽しかった、とか
そういうイベントではなくて、

毎日みる、インターホン越しのランドセル姿だったり、
激しいみかんの取り合いだったり、
毎年みんなでセッティングするクリスマスツリーだったり。

そんな、すれ違うようなささやかな時間の積もりなのかもしれない。

日常の重なりが、未来の自分をつくる。

楽しもうね♪

 

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