【蓄積の美学】「消耗の暮らし」から「蓄積の暮らし」へ

この記事は、前出記事『【無理しない生き方】こんな風に考えたら楽になれる』を、日常生活の中で活かせた様子を記したものです。
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みなさんは、「暮らす」にどんなイメージがありますか?

私はこれまで「暮らす」は消費するイメージを持っていました。
(食べたり住んだり、消費するものがたくさん。生きるって消耗なんだ。)

服がすり減ったり、食べて消化したり、住居が劣化したり。
あらゆるものを消費しながら時間を消化し、命を燃焼させていく。

そんなイメージでした。

こんな私ですが、最近「生きる・暮らす」は、実は消費でなく蓄積なんじゃないか・・・。
そう思い始めたのです。

対極を考えるようになったことが発端です。

»【無理しない生き方】こんな風に考えたら楽になれる

消費する暮らしを「蓄える」という視点で見てみていきます。

暮らすとは、

食べて命をつなぐ
住まいを整えて心地よい時間を積み重ねる
真面目に取り組んで信頼を蓄える
傷んだ(痛んだ)ときはメンテナンスをして再生する

こうとらえてみることにしました。
すると私の前に、今までとまったく違う世界がひろがったのです。

最近の暮らしの主流は、減らすことばかりに目が行きがちですが、

私たちは、

目に見えるものを減らしながら、実は、目には見えないものを増やしていっている。
そしてそれは、気持ちの豊かさへとつながっているのかもしれません。

「経験を積む」こと、
「失敗する」こと、
人に対して気持ちを重ねること。

これらは、どれもみえない体感を自分の中に蓄えています。

こんな風に考えると、歳を重ねる毎分毎秒に意味が生まれ、つぎの毎分毎秒に意味をもたせようとする自分がいることに気づきます。

暮らしの中の、

無の時間
空白の時間
考えて止まっている時間

すべてに意味がある。

こうして私がパソコンを前に文字を打つ間も、誰かとつながる瞬間を作り出せているのかもしれません。

見えない未来って可能性の層なんだな、と思います。

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