自分を認めてくれる場所に身を置くこと

表現をして生きていくということは、きみを大好きなひとが横を走ってくれているということであると同時に、きみを大嫌いだという人も、いっしょについてくることなんだ。
そっちを見ちゃだめだよ。ぜったいに。

(糸井重里)

 

いくら頑張ってもそれを認めてくれる人がいなかったら、モチベーションは続かないし、向上していきません。

一生懸命に庭の草むしりをして、ほめてくれるお母さんがいるから「がんばろう」って思える。
仕事時間の多かった月末も、その分、収入の数字として評価されるから「また頑張ろう!」って思える。

この頑張りが誰の目にも届かず、むしろ頑張りが当たり前になってしまうことほど辛く悲しいことはないです。

 

また仕事や家事に対していわれのない酷評を受けると、それを続けるための勇気も失い、自分の価値観を疑いはじめます。そうなってしまうと、気持ちを上げていくまでに、時間も体力も消耗してしまいます。

 

私は以前、息子のアレルギーを別の育児ブログに書いたとき、

「考えすぎ」
「親が神経質すぎ」
「すべて親の責任。子供がかわいそう。」

などのコメントで沈没したことがあります。
もともと打たれ弱い上に、さらに重圧がかかって潰れた情けない過去です。

(味方だよ、のコメントも入れてくれた方もいたので、私のブログのコメント欄がちょっと炎上のような形になりました。私がインフルでダウンしてた間の出来事で、3日ぶりにブログの管理画面をみたときはびっくりしました。)

 

ここ数年唱えられているミニマル化、シンプル化。

これは身の回りのモノを減らしシンプルにするだけでなく、自分のポジションをみつけるためのヒントにもなると思っています。
自分の「好き」にフォーカスし無駄な情報は入れてこない環境づくりは、私にとって心地よい暮らしをつくるための最重要項目なのです。

無駄にキョロキョロしない、そのためには自分を信じる力を持つ。

なかなか難しいことではあるけれど、辛くない、苦しまない、歪まない、そんな基盤を作っていきたいものです。

 

最後にもういっこ。

羽生善治さんの言葉です。
たくさんの対局経験(勝負)をしている羽生さんだからこその、重みのある言葉だと思います。

経験を積むことによって、不必要な情報は捨てられている。
経験は足し算の蓄積で生きるということではなく、無駄なことを省くことができるというのが本当の意味での経験を生かすということ。
経験豊富とは、たくさん考えるんじゃなくて、たくさん考えないということ。

(羽生善治)

 

 

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