【四十にして惑うのO.K!】自分の好きなことに追随する暮らし

論語には「四十にして惑わず」なんて言葉もあるけれど、私なんて40になったら惑い始めましたから。笑
(※この論語の言葉にはいろいろな解釈がありますが、一般的には文字通り「迷わない」が王道となっているようです)

それをマイナスに考えて焦るのではなく、むしろ惑うことは、それだけ選択肢があってやりたいことができる可能性が広がっているということだから、大いに惑うのがいいんじゃないかな、とポジティブ満開の迷い道を私は歩いています。

 

最近、多方面で活躍する女性をみていると「遅咲き」というのは実はないのだな、と感じます。

若い頃は思うようにならなくて歯がゆい思いをしても、年齢を重ねながら蓄えてきた知識や経験を活かすことで望みを叶えている人がいます。

そのような人が自分を発揮できた時は、それがその人のベストなタイミングであったのだと思うのです。

自分の才能をみつけることができたのが早いか遅いかは問題じゃなく、きちんと見出だせたことを自賛するべきで、もっとちゃんと嬉しく思うべき。

「そうそう、私ってこんなことができたんだ☆彡」と。

 

確かに、時代の波はあるかもしれません。
昔の偉人をみても、「生まれた時代が悪かった」と思わせる人は多いです。

けれど、今それを問題にしてもどうにもならない。

今を生きる私たちは、代々の人が生きてきた歴史の土台を活かしながら、そのプレートの上で最大限で幸せをみつけていく。
そして、磨き、壊さず、発展させ、次の世代へと引き継いでいきます。
いま私たちが在るのは、親、祖父母やそれよりもっと前を生きた人たちの努力と成果の賜物なんですね。

過去を積み上げての「今」です。

 

あの頃には叶わなかったことが、今、すぐ近くにあるかもれないし、むしろあの頃の自分よりも今の自分の方がしっくりくるカタチで叶えられるのかもしれない。
自分の思う成功に近いのかもしれない。

そんな期待さえも感じてしまいます。

時間とともに確実に自分も変わっていて、自分の成長を信じたいから。

もしもそのタイミングがきたら、
もしもそれをキャッチできたら、
臆することなく進んでいい。

 

こんなことを思う、惑いっぱなしの2019年11月。

さて、今の私には何ができるかな。

 

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